こんにちは、ユニバーサルマナー検定講師の薄葉です。

今回お届けするのは「多様性を知る対談第2弾」です。社会で活躍する障害のある方との対話を通じて、多様性をお伝えします。また、ゲストのライフストーリーを追体験しながら、ユニバーサルマナーについて一緒に考えていただければうれしく思います。


登場人物


薄葉

インタビュアー:薄葉ゆきえ 

…聴覚障害のある講師として「外見からは見えにくい障害」に対する理解推進を目指し、全国の企業・自治体・学校などで講演を行う。人工内耳装着者。

伊藤さん-1

インタビュイー:伊藤芳浩さん

…ろう者。岐阜県出身。名古屋大学 理学部卒。電機メーカーで勤務。マーケティングを担当。NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーションバリアフリーエバンジェリストとして、情報格差やコミュニュケーションのバリアを解消する活動を行っている。DPI日本会議の特別常任委員。

著書『マイノリティ・マーケティング 少数者が社会を変える』


自己紹介


薄葉

伊藤さん、本日はインタビューをご快諾いただき、ありがとうございます!簡単に自己紹介をお願いできますか?

伊藤さん

こちらこそ、本日はよろしくお願いします。伊藤芳浩(いとう よしひろ)と申します。私はろう者で、第一言語は手話です。妻と息子2人の4人暮らしです。会社員として、製品・サービスをお客さまに紹介するデジタルマーケティングを担当しています。インフォメーションギャップバスター(略称:IGB)というNPO団体の代表もしています。

薄葉

ありがとうございます。今日は、伊藤さんのライフストーリーや活動内容について伺いたいと思います。個人的なお話の前に、まずは伊藤さんが代表を務めるNPOについて、お聞きしてもよろしいでしょうか。IGBとはどんな活動を行っている団体ですか?

伊藤さん

IGBは、Information(情報=インフォーメーション) Gap(格差=ギャップ) Buster(退治者=バスター)の略で、2011年8月に発足しました。コミュニケーションバリアフリーを推進するNPO法人です。

主には、情報やコミュニケーション全般に対する『不公平さ』を解消する事業を行っています。現在メンバーは100名(2023年4月末時点)で、聴覚障害のある当事者や支援者、プロジェクトの賛同者によって構成されています。

薄葉

ありがとうございます。IGBにはいくつかのプロジェクトチームがあるそうですが、どういったプロジェクトチームがあるか教えていただけますか?

伊藤さん

まず1つ目が『電話リレーサービス普及プロジェクト』です。電話リレーサービスは2021年7月から開始された、聴覚障害のある人が電話を使用できるようにするサービスですが、IGBでは電話リレーサービスの開始前から電話リレーサービスを実現するための活動を行ってきました。

2つ目が『コミュニケーション・バリアフリープロジェクト』です。主に、聴覚障害者が勤務する職場でのコミュニケーションの課題を解消するためのプロジェクトです。

3つ目が『家族をみんなでカンガエループロジェクト』です。聴覚障害のある人にまつわる家族問題を解決するためのプロジェクトです。

4つ目が『手話による医療通訳推進プロジェクト』です。聴覚障害のある人が医療機関を受診する際に良質な通訳を受けることができるように活動を行っています。

5つ目が『インクルーシブ防災プロジェクト』です。聴覚障害者は音声情報の取得が困難なため、災害発生時の情報をスムーズに入手できません。また、手話が母語の手話者には日本語の情報発信では情報が保障されないという課題や、災害避難所での意思疎通が困難であるという課題もあります。災害時に情報やコミュニュケーション弱者になりやすい聴覚障害者の課題解消を目的としたプロジェクトです。

IGBのホームページ


幼少期のお話、ご両親とのかかわり

 

薄葉

ありがとうございます。各プロジェクトについては、この後のトピックに合わせてお聞きします。まずは、伊藤さんのお人柄を読者の皆さまに知っていただくために、伊藤さんの幼少期のお話から伺っていきたいと思います。伊藤さんはどちらのご出身でしょうか?

伊藤さん

岐阜県羽島市の出身です。

薄葉

どういった家庭環境でしたか?また、幼少期はどのようなお子さんでしたか?

伊藤さん

教育熱心な両親のもとで育ちました。物心ついた頃には家には本がたくさんありました。読書の習慣が身に着いたのは両親のおかげです。幼少期から知的好奇心の旺盛な子どもだったように思います。

また、一人っ子だからか、両親と一緒に過ごす時間は多く、休みの日には家族で旅行に行ったり、美術館や博物館などにもよく連れて行ってもらったりしていました。昨年亡くなってしまいましたが、父親は非常に穏やかな性格で子どもの頃から父親にこっぴどく叱られた記憶はほとんどありません。母も明るく社交的な性格でした。幸せな家庭環境で、非常に恵まれていたように思います。

薄葉

素晴らしいご両親と家庭環境ですね。伊藤さんの穏やかな物腰はご両親譲りなのだと思いました。就学前の地域での環境はいかがでしたか?

伊藤さん

兄弟がいなかったので、就学前は地元の年が近い子達とよく一緒に遊んでいました。生まれつき聞こえないので、友人と遊ぶ時もコミュニケーションは大変だったはずなのですが、苦労した記憶がほとんどありません。みんな、口元を見せてはっきりと話してくれました。

地元は自然が豊かな場所だったので、川原にある雑木林でカブトムシやクワガタを獲ったり、川で鮒をつったりと、自然の中で伸び伸びと過ごせた子ども時代でした。また、家にはおもちゃがたくさんあり、友人達が家に遊びに来てくれる機会が多かったです。今にして思えば、息子に友人ができやすいようにとの両親の計らいだったように思います。

薄葉

当時の伊藤さんの姿が目に浮かぶようです。幼稚園入学以降は、いかがでしたか?

伊藤さん

京都府立聾学校幼稚部に通う一方、地元の幼稚園にも通っていました。いわゆるダブルスクールです。聾学校では言葉の獲得にかなりの時間を割いていて辛かった記憶がありますが、同級生とは今も親交があり、楽しく遊んだ良い思い出がたくさんありました。幼稚園ではコミュニケーションがあまりうまくいかず、思い出に残っていることはありません。

その後、両親の希望で小学校は地域の一般校に入学しました。覚えているのは、母が担任の先生に対して、聴覚障害の事前説明を行ってくれたことです。聞こえない子が聞こえる子と共に学ぶ場合、どういうことに困るのか、小学校3年生くらいまでの間は、クラス替えの度に母が来校し、説明を行ってくれました。

また、担任の先生とも密にコミュニケーションを取り、連携してくれました。当時は家庭訪問というシステムがありましたので、その機会に家庭内の様子を先生に共有したり、親も困りごとを相談しやすい時代だったのかもしれません。

 

小学校で起こったこと、教員に感じた課題

 

薄葉

お母さまが先生やクラスメートに伊藤さんのアドボカシーを行ってくださったのですね。大人になってからは自分自身で説明を行う必要がありますが、小学校低学年の頃はセルフアドボカシーは難しいので、そうした支援は必要不可欠ですよね。小学校に入学してから、学校で苦労したご経験はありますか?

※アドボカシーとは?

ブログ【障害者の意識のバリア 「諦め」と「周囲とのコンフリクト(対立や衝突)」とは】

伊藤さん

はい。それはもう苦労しました(笑)。小学生になると子どもは他の子どもとの違いを意識し始めます。とはいえ、まだ幼いので聴覚障害について理解が及ばず、違いを受け入れられずに排除しようとします。そのため、聞こえないからという理由で仲間はずれにされることがよくありました。小学校3年生から卒業までの間は、コミュニュケーションのズレから同級生からいじめられていました。

薄葉

お辛かったですね……。具体的には、当時どういったことが起きたのでしょうか?

伊藤さん

例えば鬼ごっこでは、鬼役は次々に入れ替わりますが、聞こえない私には今誰が鬼役なのか分かりませんでした。鬼ではない子を捕まえたり、逆に鬼役の子を捕まえてしまったり(笑)というトンチンカンな行動を繰り返した挙句、周囲の子どもたちから呆れられて、いつしか仲間外れにされてしまいました。変なことをしてしまった時に、叩かれたり、つねられたり、無視されたり、相手にされなかったり、遊びの輪に入れなかったこの時期は、子ども心に本当に辛かったです。

薄葉

聴覚障害者のある同級生への対応方法がわからなかったとはいえ……。担任の先生は相談に乗ってくれましたか?

伊藤さん

担任の先生は両親と情報連携してくれていたので、友人関係については把握していたと思うのですが、先生から特別な働きかけはなかったように記憶しています。過度な介入は、障害がある子を特別扱いすることになってしまうと考えたのか、いつも遠くから見守っているような状態でした。

本来的には子ども同士でコミュニュケーションを取り、多様性を理解し合えることが理想ではありますが、実際には子どもたちだけでは解決できないことも多いですから、今にして思えば、適度な仲介はしてほしかったなと思います。

例えば、聞こえない私が鬼役の子を把握できるように『鬼役の子は、帽子やタスキなど、鬼とわかる目印を付ければ良いのでは?』というように、子どもたちに課題解決のヒントを示唆する、といったようなことです。子どもたちが多様性を理解するために背中を押す知識やスキルは、今後、インクルーシブ教育を推進する上で教師にとって必要不可欠だろうと考えます。

薄葉

同感です。ただし、現実の問題として、一般校の教員の場合、そうした知識やスキルを習得したくても、習得するための研修や実地体験は不足しているのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

伊藤さん

たしかにそうした事情はあると思います。また、それ以前の問題として、教員の多様化自体が進んでいません。

例えば、聴覚障害のある教員実習生が研修を希望した学校から受け入れを制限されてしまうことが起きています。第一言語が手話である実習生が、実習先の方針で音声言語を使用することが必須であるということから、受け入れられなかったという話を聞くことがあります。しかし、教員が障害のある子どもを理解するために研修を受けるだけでなく、教育現場に障害のある教員が増える必要があります。

教員が障害のある同僚と協働し、時に合理的配慮を行う過程において、多様性の理解が促進されますし、また、障害のある子どもにとっては、障害のある教員が身近で生活し、社会で活躍している様子をつぶさに見ながら成長することは重要です。

薄葉

ロールモデルの獲得ですね。

伊藤さん

はい。私は身近に聴覚障害のある大人がいない環境で育ったので、自分が成長してからどのように社会参加できるのか、また、どのような職業に就けるのかのイメージが掴めず、ロールモデルの不在に長年悩んでいました。

薄葉

わかります。私もロールモデルの不在でとても悩みました。障害のある子どもにとって、ロールモデルの不在は自身の処世をイメージしにくく、将来に希望が持ちにくくなる傾向があるように思います。

伊藤さん

教育現場で多様性が進んでいないとなると、たとえ多様性理解のための研修を受けたとしても、子どもたちに多様性について教えることは難しいのではと思っています。

薄葉

同感です。ただし、障害のある教員が採用されるためには、環境の整備が必要不可欠ですよね。例えば、聴覚障害のある教員に対する情報保障です。とはいえ、教員の長時間労働問題などは未だに改善されていない現状がありますから、並行して教員の働き方改革なども進めていかなければ、現場の負荷が増加するだけで、抜本的なインクルージョンに繋がらないのではと危惧します。

伊藤さん

おっしゃる通りです。


第1回はここまでです。
次回は「大学での手話との出会い、CODAとSODAの話」をお聞きします。