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2020年07月28日

ホテルマンの神筆談

薄葉ゆきえ

ユニバーサルマナー講師の薄葉幸恵です。
聴覚障害のある講師として、全国各地の様々な企業、自治体、教育機関などで講義を担当しています。
耳は聞こえませんが話せますので、講義は声でお伝えしています。

(※中途失聴者とは?:元々は聞こえていたが、事故や病気などが原因で聞こえなくなった人。耳は聞こえないが、話をすることは可能な場合が多い。)

突然ですが、
「今、皆さんが、耳が聞こえない人から筆談をお願いされたら、何秒くらいで、相手の要望に応じることができますか?」

今回は、筆談にまつわる私の体験と、サービスやホスピタリティの本質について、お伝えします。

写真 立派なホテル

コロナ警戒下、ユニバーサルマナー検定の再開

この記事を読んでくださっている皆さんは、ニューノーマルな生活様式を守りつつ生活をされていることと思います。

また、接客業に従事する皆さんは、お客様や、自身を含めたお店のスタッフの健康管理、衛生管理を行いつつ、温かいおもてなしの心でお客様をお迎えしていることと思います。

ユニバーサルマナーの講義もコロナ対策を十分に行いながら再開されました。
今回は、東京ドームホテルの新入社員研修にお邪魔した時のお話です。

コロナへの警戒態勢下、この日はいつも私が使用している目立たない場所にあるホテルへの出入り口が封鎖されていたため、一般のお客様が使用される正面玄関からホテルに入りました。

講義の際、「講師7つ道具(私が勝手に名付けている)」を詰め込んだスーツケースを持ち歩く私は、どうやら宿泊のお客様と間違われたようで、正面入り口をくぐった際に、ある一人のドアマンに声をかけられました。

※ドアマン:ホテルの正面玄関でゲストを出迎えてくれるホテルの職員

ドアマン:「……」

私は、そのドアマンが何を言っているのか、さっぱり理解できませんでした
なぜかというと、ドアマンがマスクを着用していたからで、聞こえない人は、マスクを着用している人の口元は読み取れません。

私:「すみませんが、私は耳が聞こえないので、書いていただけますか?」

とドアマンに筆談のお願いをしました。

写真 ノートと万年筆

驚きの筆談スピード!

さて、ここで、冒頭の質問です。
「皆さんが、耳が聞こえない人から筆談をお願いされたら、何秒くらいで、相手の要望に応じることができますか?」

ドアマンは、何秒で筆談を終えたのでしょうか?
答えを先に言います。

私に筆談をお願いされてから、文字の書かれたメモ用紙を私に見せるまでの所要時間、わずか「3秒」でした!

その時の様子を再現します。

ドアマンは、私に筆談をお願いされてから、左右の手を同時に動かすと、左手で自分の胸ポケットから紙を、右手で横ポケットからペンを取り出し、何かを書き、私に紙を見せました。
その間の私の体感速度は、約3秒程度でした。

(なぜ秒数がわかったかというと、後で自分自身が、ドアマンと同じ動作をして時間を計測してみましたら、約3秒間でした)

3秒ですよ?あまりの速さに、驚きませんか?
人はあり得ない事象に遭遇すると、なぜか、笑いがこみあげてくるものなのですよね。
私も咄嗟に笑いそうになるのを堪えながら、ドアマンが筆談してくださったメモの内容を読みました。

メモには、シンプルに「チェックイン?」と書かれていました。
やはり、ドアマンは、パンパンに膨らんだスーツケースを持ち、正面玄関からホテルに入ってきた私を、宿泊客を間違えたようでした。

新入社員研修のためにお邪魔したことをお伝えすると、ドアマンは、マスクの上からもはっきり伝わるように目まで笑って、私を通してくれました。

筆談に慣れている人でも、10秒は必要

皆さん、改めて想像してみてください。
聞こえない人から筆談をお願いされて、手に何も持っていない状況から、わずか3秒で完了できますか?
残念ながら、私にはできません。

では、聞こえない人の対応に慣れている人であればどうか?
ということで、私が講義を担当する際に、コミュニケーションのサポート役として、同行してくれる手話通訳者に聞いてみました
答えは、「10秒前後は必要です」とのことでした。

時間配分として、まずは紙を探し、ペンを探し、どの様に伝えるか文面を考え、読みやすいように丁寧に書いて、書き終わるまでに、約10秒かかるとのことです。
聞こえない人の対応に慣れている手話通訳者であっても、10秒前後。

聞こえない人の対応に慣れていない人であれば、さらに5秒は時間がかかりそうな気がします。

なぜかというと、聞こえない人の対応に慣れていない人は、前提条件として周囲に聞こえない人がいない環境の人です。
つまり、話しかけた相手の耳が聞こえないことを想定していない場合が多く、さらに自身が筆談をお願いされることも全く想定していません。

そのため、聞こえない人に筆談をお願いされても、とっさに「耳が聞こえない」ことと、「書いて伝える必要がある」ことの相関関係が、頭の中で結びつきません。
そして、しばらく考えた後に「そうか、なるほど!」と、紙やペンを探し始めるのです。

肝心の字が読めなくては困りますから、筆談は、早ければ早いほど良い、というわけではありませんが、急いでいる時などは、迅速に筆談していただけると本当に助かるものです。

ただし、これで終わりではありませんでした。
この後に、更に驚きの事実が判明するのです。

写真 東京ドームホテルの研修会場

実は、初めての筆談だった!?

ロビーで待ち合せていた手話通訳者と合流し、「さすが一流ホテルのドアマンだけあって、聞こえない人の対応にも慣れているのですね」などと感銘を語り合いながら、ホテル内の研修会場に向かいました。

そして、いつもお世話になっている研修担当の方に、先ほどの、素晴らしいドアマンの筆談についてお伝えし、ユニバーサルマナーの公式ステッカーを御礼に渡して欲しいと託したところ、担当の方が気を利かせてくださり、「直接、お渡しください」と、先ほどのドアマンを研修会場まで連れてきてくださったのです。

改めて、先ほどの迅速な筆談対応について、お礼をお伝えしたところ、意外な答えが返ってきました。

ドアマン:「とんでもないことです。逆に、私は今日、大変貴重な経験をさせていただきました。マスクを着用した状態で聞こえないお客様に応対したのは初めてで、すべて咄嗟の行動でした。コロナ禍において口元が読めない場合には、お話の内容を書いて伝える必要があることを学びました。

後日知ったのですが、筆談をしてくれたドアマンは、3年ほど前にユニバーサルマナー検定を受講してくださっていたとのことでしたが、その時の私は、わずか3秒の筆談が咄嗟の行動だったという事実に驚きを隠せませんでした。
そして、なぜあのような迅速な行動ができたのか、理由を尋ねました。

ドアマン:「いつも通りのことをしただけです。ドアマンは、次から次へとお越しになるお客様をお迎えします。また、出入りするお車やタクシーを誘導しつつ、警備のために周囲の状況に目も配る必要があります。お客様のお顔やお名前も覚えなくてはいけません。一度にたくさんの情報が目に入ってきますので、重要なことを忘れないように、ドアマンは素早くメモを取る習慣があるのです。

写真 3秒で筆談してくださったドアマン

お話をうかがって、目から鱗が落ちました。
わずか3秒の筆談は、聞こえない人にのみ特化したサービスやホスピタリティではなく、彼らが、常日頃からプロとして培ってきた習慣がなせる技だったのです。

マスクの上からでも、はっきりとわかる爽やかな笑顔で去っていくドアマンを見送りながら改めて、より多くのお客様に喜ばれるサービスやホスピタリティとは何かについて考えました。

プロのホスピタリティには、ユニバーサルマナーも包含されていた

ユニバーサルマナーは、ご高齢の方、障害のある方への向き合い方やホスピタリティを表す言葉ですが、皆さんに特別な知識や技術を要求するものではありません
私自身の経験を振り返ってみても、私が最も嬉しく感じたおもてなしは、障害者のためだけに、義務として、発せられた言葉や行動ではありませんでした。

「サポートすべき」の観点で考えられた、高齢者や障害者のみに特化したおもてなしは、義務や偽善のニュアンスが感じられて、意外と当事者の心には響いていなかったりします。
肩の力を自然に抜いた「さりげない配慮」こそが、高齢者や障害者も含む、全てのお客様に喜んでいただけるサービスやホスピタリティの本質ではないでしょうか。

今回の「神筆談」のエピソードは、ホスピタリティのプロが、無意識にユニバーサルマナーも実践していたという嬉しい事例です。
多様なお客様にも喜んでいただける、真のホスピタリティとは何かについて、改めて気が付かせてもらえた、大変貴重な体験となりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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