住宅における扉の問題
扉と言えば、日本の玄関はかつて引き戸が主流でしたが、現在の新築は開き戸が一般的です。
引き戸
開き戸
ユニバーサルデザイン面で考えるとそこに大きな障壁があります。
それは、日本の玄関の扉が外開きであるということです。
日本の玄関扉のほとんどは、内側から外に開きます、これを「外開き」といいます。
それに対して、欧米のほとんどの扉は、外から内側に開きます。これを「内開き」といいます。
(日本神話に登場する天岩戸※も、外から開かれたので、外開きだったのかもしれません。現存する日本最古の木造建築である、法隆寺金堂の中の扉が最古の開き戸。ちなみに、引き戸は平安後期から現れます。)
◇扉の歴史について詳しくはこちら
外開きの問題点
(1)出入りに手間がかかる
扉が開く時には、丁番(扉と壁をつなぐ金具)を中心に扇形に開くための大きなスペースが必要です。
外開きの場合は、扉が外側に向かって開くので、外部にその広いスペースが必要となります。
したがって、ドアの前に立っていた人は、ドアが体にぶつかってしまうので、ドアを避けて後戻りや左右に除けないと利用できません。
よほど、庇(ひさし:窓や出入り口にあるでっぱりのこと)や屋根が大きくないと利用者は雨の日に濡れてしまいます。
一人で家に入る時も
①扉を開ける
②体を扉からよける
③玄関に入る
④体を回転させて扉を閉める
といった複数の動作が必要となります。
したがって、車いすユーザーなど身体可動域に制限がある人は、外開き扉の利用が難しく、扉の開け閉めだけヘルパーさんにお願いしている事例もあります。
(2)屋外の影響を受ける
現在よく話題にあがる「置き配」の問題があります。
扉の外に荷物が置かれて扉が開かなくなり、閉じ込められたと言った事例も「外開き」だからこそ起こる事例です。雪が積もったり、地震で物が倒れてきて扉が塞がれたら、「外開き」であると閉じ込めるられて逃げることが出来ません。
では、なぜそのような厄介な扉が日本で使われているのでしょうか?
それは、日本の住宅事情に原因があります。
外開き扉の事情
日本の住宅で外開きの扉が使用されるのには、以下のような理由があると考えられます。
(1)日本の住宅が狭小であることで、前出の「扉が開く時には、丁番を中心に扇形に扉が開き、大きなスペースが必要」であるが、十分なスペースが玄関に確保できないこと
(2)玄関で靴を脱ぐ習慣があるので、靴を脱ぎっぱなしにすると「内開き」では扉が開かなくなること
(3)扉の表面に付いた雨水や汚れを部屋の中に入れたくないという心理
使いにくい扉も慣れてしまうと気にならなくなりますが、大きな荷物を抱えている時、大雨で傘を差している時、突然の事故で松葉杖を使用したり、高齢で体の動きが悪くなったり、車いすを使用することになった時、使いにくさを実感すると思います。
日本の最も新しい扉の話
もしあなたが、病気や事故で車いすを使用することになったり、加齢により杖を使用することになって扉を開ける事が困難になった時に、いつも玄関にドアボーイ・ドアガールがいて扉を開けてくれれば良いですが、一般住宅ではそんなわけにはいきません。
それならば、玄関扉を自動ドアに改修すれば良いのですが、それには高額の改修費用がかかるばかりか、建物によっては物理的に改修が不可能な場合があります。
そんな時、今ある扉をそのまま、自動ドアに変える魔法のツールがあります。
その一つが、電動オープナーシステム「DOAC(ドアック)」です。
◇DOACの詳細はこちら
今ある玄関ドアやカギはなんとそのまま。後付けでドアを自動化できます。
「DOAC」は車いすに乗っているとき、両手が塞がっているとき、玄関ドアをやさしく開閉してくれます。
また、昨今は接触が気になる状況ですが、「DOAC」は非接触なので、感染防止にもなります。
外出時も、帰宅時も、リモコンひとつで自動開閉します。
さらに、リモコンが無くても玄関ドアを少し開くだけで、オートアシスト機能が働き、全開位置まで開きます。
全開後は、タイマーによって自動で玄関ドアを閉じてくれます。
※リモコンを使わない時は、鍵での施錠が必要です。
自宅の玄関ドアやカギはそのままに、後付けできるバリアフリーリフォーム。
設置はLIXILの専門店スタッフが対応し、取り付けたその日から使用できます。
さあ、新しい扉の話が始まりました。
◇詳しくは「ミライロハウス」にお問い合わせくださいませ。 お問い合わせはこちら |
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あとがき「日本で最も古い扉の話」
神代の昔
澄み渡った高い空の上に、高天原という神々のお住まいになっているところがありました。
そこには天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまという偉い神さまがいらっしゃいました。
その弟に須佐之男命(すさのおのみこと)という力自慢で、いたずら好きな神さまがいました。
ある時、大御神さまが機はたを織っておられると、須佐之男命は大御神さまを驚かそうと、そっと御殿に忍びより、天井からドサッと馬を投げ入れました。
これには日頃やさしい大御神さまも、さすがにお怒りになられ、天の岩戸という岩屋に隠れてしまわれました。
さぁ大変です。世の中はもう真っ暗闇です。
困りはてた神さまたちは、天安の河原(あめのやすのかわら)に集まり相談をしました。
そこで思兼神(おもいかねのかみ)という賢い神さまが一計を案じるのでした。
すでに準備ができると、まずニワトリを一羽鳴かせました。
そして天宇受売命(あめのうずめのみこと)という踊りのうまい神さまは、オケの上でトントンと拍子をとりながら踊りだしました。
神さまたちは手をたたいたり、笑ったり、歌をうたい始めました。
外が余りにもにぎやかなので、大御神さまは不思議に思われ、岩戸を少し開いてみました。
その時です。
力の強い天手力男神(あめのたぢからおのかみ)は、力いっぱい岩戸を開きました。
真っ暗だった世の中もみるまに明るくなり、神さまたちも大喜びです。
高天原にもまた平和がもどってきました。
暴れた須佐之男命は、その後反省し、高天原をはなれ出雲国(いずものくに)に行かれ、八俣大蛇(やまたのおろち)退治をされます。
その八俣大蛇の尻尾から出て来た天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、皇室の三種の神器の一つとなりました。
古事記 「天岩戸開き」