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2021年01月22日

ミライロ・コネクトの手話通訳士に聞いた!~通訳者という職業と、ミライロという会社を選んだ理由~

ミライロ・コネクト

【写真】手話通訳をする様子

聴覚言語障害により、聞こえづらさや話づらさを感じている方のために、コミュニケーションのバリアを解消することを目指す事業「ミライロ・コネクト」。

今回はこの事業を牽引する2名の手話通訳士に、手話との出会いや通訳者を目指した背景、ミライロに入社した理由などを聞いてみました!

INDEX

■手話との出会いや手話通訳を仕事にしたいと思い始めたきっかけ
■ミライロ・コネクトを選んだ理由

話す人・聞く人

【写真】左から高内、福島、神保の正面写真
写真左から高内、福島、神保

■話す人
ビジネスソリューション事業部 コネクトチーム 手話通訳士
 高内 利枝(TAKAUCHI RIE) 
 福島直人(FUKUSHIMA NAOTO) 

■聞く人
経営企画部 広報担当
 神保さほり(JIMBO SAHORI)

手話との出会いや、手話通訳を仕事にしたいと思い始めたきっかけ

 

神保
まずはお2人に、手話との出会いや習い始めたきっかけをお聞きしたいのですが、高内さんからお願いできますか?

高内
以前の私のインタビューにもちょっと書いてあると思うんですが、大学の授業でろう文化があるということ、そして手話は言語であることを知ったというのがきっかけでした。

そういう世界があると知ってからは、手話を言語学的に研究してみたいなと思って勉強したり、自治体が開催する手話講習会に通ったり、また地域の聞こえない方々との交流の中で、手話を教えてもらったりしていました。

神保
大学の授業が最初の出会いだったんですね!福島さんの手話との出会いはいつ頃だったのでしょうか?

福島
私の両親は耳が聞こえないので、私はいわゆるCODA(※)です。なので、第一言語が手話でした。父が日本手話、母が日本語対応手話を使っているので、家庭内でも場面によって手話表現が異なっていました。

最初に覚えた単語は、手話で「象」だったぐらい、幼少期は手話でずっと会話をしていたのですが、小学校高学年ぐらいから「手話で話すことが恥ずかしい」と人目を気にするようになり、使わないうちに話せなくなってしまいました。

※両親のひとり以上が聴覚障害のある耳が聞こえる子ども(Children of Deaf Adultsの略)
 
神保
第一言語が手話でも、話せなくなってしまうのですか?

福島
はい、手話は言語なので、使わないと話せなくなってしまいます。母は私の口の形を読んで会話ができますが、父とのコミュニケーション方法は手話しかなかったので、会話ができない日々がしばらく続きました。仲が悪かった訳ではなかったので、コミュニケーションの代わりにプロレスの技をかけあっていました(笑)。

【写真】福島が笑顔で話す様子


神保
そうだったんですね!福島さんはてっきりずっと手話が話せるのかと思っていました。では、いつからまた手話を勉強し始めたのでしょうか?

福島
大学に入学してからでした。志望校に合格できなかったということもあって、少し焦りがありました。「何かしないと負ける」という漠然とした想いの中で、「人と違う自分の強み」を考えた結果、手話にたどり着いたという感じでした。

手話教室に通い始めるとすぐに、先生からは表現力を褒められ、他の生徒からは育った環境を羨ましがられたんです。

これまでは人と違う家庭環境にずっとコンプレックスを抱えていましたが、この時に初めて、恵まれた環境だったことに気が付いて……。

神保
まさにミライロの企業理念「バリアバリュー」ですね!バリアバリューは障害を価値に変えることを表していて、福島さんがコンプレックスに感じていたようなことも、視点を変えると価値になる、という考え方です。

高内さんは、手話と出会ってから、仕事にしたいと思い始めたきっかけはあったのでしょうか?

高内
手話を教えてくれた聴覚障害者の方々に還元していけたらいいなという気持ちがずっとありました。地域のろう協の会長からの紹介で、大学時代は全日本ろうあ連盟のアルバイトをさせていただいたりもしました。

でも当時は「ここで自分は役に立てるのかな?」という気持ちもあり、大学を卒業するタイミングで手話とは関係のない業界に就職しました。手話をしっかり身に着けて、視野を広げて、自信が持てるようになったらまた戻ってこれたらいいなと思っていました。

神保
大学を卒業されてからどんなお仕事をされていたんですか?

高内
国際交流機関で仕事をしていました。言語文化や異文化交流、多様性への関心から選んだ職場でした。

そこで、イタリアの事務所で働くチャンスを得て、2005年から2010年の5年間、そこで働いていました。

当時の仕事や生活上、手話との関わりはほとんどなかったのですが、一度仕事を辞めたタイミングで時間ができたこともあり、ローマろう研究所というところでイタリア手話を3年間勉強しました。イタリア手話を勉強したいという日本人ってきっと珍しかったんでしょうね、みなさんによくしていただきました。

神保
すごい人生ですね(笑)。イタリアに住まれていただけでも驚きですが、イタリア手話が話せるというのは、こういった背景だったんですね!

こうなると、「なぜ、そんな高内さんがミライロに入社したのか?」というのは私だけではなく読んでる方も気になると思うのですが、入社までの経緯を教えていただけますか?

高内
イタリア手話は、もうだいぶ忘れてしまいましたけど(笑)。もともと、イタリアにいる時からミライロの存在は知っていました。SNSで見たのが最初だったと思います。

【写真】高内が笑って話す様子

日本に帰ってきたのが2016年だったのですが、帰ってきてすぐに新しい仕事を探していたんです。ハローワークに行って、何ができるかなといろいろ見てる中で、改めて「手話」というキーワードにたどり着いていました。

帰国して半年間は別の場所で通訳の仕事をしていたのですが、その時期にミライロの紹介を受けました。薄葉さんと会って、聴覚障害者をエンドユーザーとしたミライロ・コネクトの事業を立ち上げたいという話を聞きまして……。「新しいことをしていきたい、力になれることがあるかもしれない」という想いで転職を決めました。

神保
ミライロとはそういうご縁だったんですね!福島さんは大学を卒業してすぐに通訳者としてお仕事されていたのですか?

福島
いえ、大学を卒業してすぐはブライダルの会社に勤めていました。本格的に手話を使っていきたいという想いはあったんですが、手話通訳者の給料が安いこともあり、最初は諦めていました。

人と話すのが好きということもあって、ブライダルの会社を選んだのですが、「手話を活かしたい」ということは社長に直接伝え、手話を使った企画を立案・運営もさせてもらっていました。

神保
お2人とも最初は「手話通訳だけでは食べていけない、自分が役に立てるかわからない」という部分があったんですね。ブライダルのお仕事から、手話通訳を仕事にしたきっかけはあったのでしょうか?

福島
ブライダルの会社でも、手話を使っていろいろと挑戦させてもらうことができていました。でも、「手話やCODAというバックグラウンドをもっと活かしたい」「社会にも還元したい」という想いがより強まったのがきっかけでした。

約1年務めたのちに会社を退職し、手話通訳者の派遣等を行う情報提供施設に就職しました。

神保
ミライロも講演の手話通訳をお願いする際にその団体にお世話になっていたので、実は私も福島さんに通訳者の派遣をしてもらったことがありましたよね?(笑)

福島
ありましたね(笑)。約5年間務めた情報提供施設では、手話通訳者の派遣や養成事業など、幅広い業務を行っていました。

実は手話通訳士の資格を取ったのもこの時期で、転職して1年目で試験に合格しました。仕事の内容には満足していて、やりがいもあったのですが、給料が低かったことだけがずっと気になっていました。

そして、5年目のタイミングで子どもができたので、転職を考えるようになりました。かつてからミライロの事業内容には興味を持っていましたが、転職を考え始めたタイミングでちょうど大阪で通訳者を募集し始めたことを知り、応募しました。

神保
これもまたご縁ですね!

ミライロ・コネクトを選んだ理由

 

神保
お2人共、元々は手話とは関係のない安定したお仕事をされていたり、手話に関する別のお仕事をされていたりということでしたが、当時はミライロの新規事業だったミライロ・コネクトの担当者として入社することに不安はなかったのでしょうか?具体的に、どんなところに魅力を感じたのか、教えてください。

高内
そうですね、そもそも「設置通訳や正社員として、手話通訳者を雇用します!」と言ってくれるところが、そこまで多くないと思うんです。また、雇用されたとしても、他の業務もしながら通訳もしてくださいというケースが多かったりします。

そんな中で、正社員として迎え入れてくれて、かつ「聴覚障害者をエンドユーザーとしたサービスを企業として提供します。何ができるかをこれから一緒に考えていきましょう!」と言ってもらえたことが、とても魅力に感じました。

【写真】高内の後ろ姿 手話通訳をする様子

福島
ミライロに入社する前、情報文化センターや情報提供施設の仕事も選択肢としてはあったと思うんですが、ミライロを選んだ理由はなんだったんですか?

高内
他のところでは、手話通訳の募集をしていなかったんです(笑)。ミライロを選んだ理由としては、ポストがあったことに加えて、通訳の仕事だけではなくて、他にもいろいろと挑戦させてもらえそうだったというところでした。期待感が強かったのは今でも覚えています。

福島
やりたいことができそうな環境だったっていうのが一番大きいのかなって感じですね。

高内
そうですね。今振り返ると、明確な方向性は考えられていなかったと思います。ただ、「聴覚障害のある皆さんが進出しやすくなる社会を作る」という部分が、ミライロに入ればできるかもしれないという、漠然とした感覚がありました(笑)。

福島
その感覚、すごくわかります!(笑)私も「民間の力で、この聴覚障害者の社会をもう少し良くできそうだな」というのは前職の時からずっと思っていました!

前職は公的機関なので、どうしても守らなければいけないルールがありまして……。実際に聞こえない人から求められていることが、そのルール内では対応できないということもあって、ジレンマを感じたことも多々ありました。

それを変えるには、民間で頑張るしかないんだろうなと思っていたんですが、これまではそれができる環境の会社がありませんでした。でもミライロ・コネクトだったら、新しく変えれるんじゃないかなっていう期待感があったという部分は高内さんの意見にとても共感できました!

神保
お2人の想いがシンクロしていますね!そもそも他の職場はポストが空いていなかったり、給料が低かったりという根本的な部分に加えて、通訳者としての仕事の幅の広さというか、正社員としてちゃんとしたポストが用意されているというところが入社の決め手になっているんですね。

福島
そうですね。あとは私の場合は親が聞こえないので、「聴覚障害者のためになる=親が住みやすい」みたいな感覚もやっぱりあって……。福祉の世界に留まらずに、誰かが変えないといけないという使命感みたいなものは感じていたのかもしれないですね。

【写真】手話通訳中の福島の様子
あとは若者が増えないということにも課題を感じていました。通訳者の世界は給与面だったりの待遇が良くないので、手話通訳士でも非正規雇用だったりします。せっかく働きたいと思っている人はたくさんいるのに、生活できないという理由で諦める人も多かったので、このあたりももっとできることがあるんじゃないかなという想いもありました。こうした部分も、ミライロだったら着手できると思えたことも大きかったです。

神保
熱い想いを聞かせていただき、ありがとうございます!今回のお話を聞いて、通訳だけをする手話通訳者ではなく、「聴覚障害者が住みやすい社会を作れる」という部分が改めてミライロ・コネクトの魅力だと感じました。

お2人とも、既にご自身の想いを叶えつつあって、コロナ禍の当事者の声に寄り添っていち早く遠隔での手話通訳を導入したり、企業のコンサルティングをしながら、聴覚障害者が本当に求めているサービスを提供したりと、幅広く業務を行っていますよね。



後編の対談では、お2人の実際の業務内容や、印象に残った仕事などを伺っていますので、公開をお楽しみに!

手話通訳オペレーター体験会 開催決定!

ミライロ・コネクトでは、初めて「電話リレーサービスの手話通訳オペレーター体験会」を開催することになりました。

オペレーターの心構えや遠隔における通訳のポイント等、実際に電話リレーサービスを担当するオペレーターが丁寧に教えます。

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